全ての始まりのその前に 〜タイロン〜
―― 絶対的機密であることを示すギルカタール国王の印によって完璧に封がされた一通の書状が、全ての始まりだった・・・・ タイロン=ベイルは、王宮を辞して帰った家の自室でぼんやりとひっくり返っていた。 手の中には数日前に届いた国王の書簡がある。 「・・・・はあ」 零れるのは、普段から豪快で悩み事も少なそうなタイロンには珍しくため息ばかりだ。 (お嬢の婚約者候補、か。) この書簡が届いた時には、何の冗談かと思ったが、今日王宮で見てきたアイリーンの様子と合わせると、事態は王の思った通りに動いたらしい。 別に、アイリーンの手伝いをすることになんの不満もない。 というか、彼女が困っているなら国王直々に頼まれ無かろうが手伝ってやる。 ただ問題は、『婚約者候補』というこの響きだ。 何とも思っていない女なら、ただの協力者として助力もできるが、アイリーンが相手ではそうはいかない。 アイリーンはタイロンにとって幼馴染み以上の大切な大切な少女だったから。 この世で一番大切な物を一つあげろと言われたら、タイロンは即答で「アイリーン」と答えるだろう。 例えそれが自分の手に入ることがなくても、間違いなくタイロンにとって世界で一番大切なのはアイリーンだった。 ・・・・そう、だからこそ、自分の手にアイリーンが収まらないことも気づいている。 「・・・・・・・はあ」 タイロンは今日引き合わされた同じくアイリーンの婚約者候補達の顔を思い出して、余計に重いため息をつく。 ギルカタールでは知らぬ者はいないであろう見知った有力者たちのなかに、もっとも知った顔があった。 氷のようなと称される冷たい美貌の持ち主、もう一人の幼馴染み、スチュアート=シンクの顔が。 謁見室で会った時、珍しく強ばった顔をしていたから、スチュアートもスチュアートなりに今回の話がこたえているのだろう。 なにせ、アイリーンはスチュアートが切り捨てた。 その事をアイリーンが酷く恨んでいることを、スチュアート自身もよく知っている。 「まあ、なんでずっと恨まれてんだかまでは気づいてねえんだろうけど。」 何故、数年経っても色あせないほどにアイリーンが傷つけられたのか。 何故、今でもアイリーンはスチュアートを許せないのか。 ―― 一番よく知っているのは、タイロンだった。 昔から、一緒に遊んでいた頃から気が付いていた、アイリーンの視線の行き場。 それは一時タイロンに向いても、最終的にはもう一人の幼馴染みへ向かっていった。 子どもの頃は訳も分からずそれが悔しくて、とにかく自分を見て欲しくてスチュアートとよく衝突した。 少し大きくなれば、その視線の意味にも気が付いて、締め付けられるように苦しくなった。 どんなにアイリーンを見つめて、想ってみても、いつでも彼女の視線は自分のものではなくて。 それが、憎んで憎んで殺せそうな視線になっても、変わることはなかった。 いつだって、アイリーンが見ているのはスチュアートで、自分ではない。 ・・・・ただ滑稽なのは、いつまでもスチュアートがそれに気が付かないところだ。 何を恐れているのか、少し分かるような気もするが、いつまで経ってもスチュアートはアイリーンの視線に向き合うことを恐れるように背を向けるばかり。 「はあ・・・・」 幾度目になるかわからないため息をついて、タイロンは再び書簡を目の前に持ってきた。 王とアイリーンの取引期間は25日間。 この25日は、何を変えるのか・・・・何を起こすのか。 最後のため息をついて、タイロンは書状を天井に向かって放り投げた。 ―― 取引終了まであと25日。 タイロンにとって、ほんの少し幼馴染みに戻れる時間になるだけのはずだった |